和太鼓という楽器と、八丈太鼓という演奏スタイル、音楽というもの、それをめぐるぼくらのグルーブな日常について できるだけ面白おかしく分かりやすく書いています。 沢山の人に読んでもらうのを過剰に意識してますが、まったく高尚なものではなく、疎にして雑。目くじら立てずに読んで下さい。
 This is personal blog I write about wa-taiko, Japanese drum, style of Hachijo-taiko, music itself and our groovy lives. I write them with humor, amusing way and easy for understanding as much as possible. I am conscious in large in surplus, but it is not so lofty, might be miscellaneous. Please don't flay and do enjoy to read.

2011年1月3日月曜日

出会い(二)

路傍にて
「やらせてもらえませんか?」に「かまいませんよ」って。

2005年の春のある日、画材を求めるために地元の駅前を歩いていたところ、祭りの人だかりにぶつかりました。車もバスもとおる駅前通りを堰き止めて人を集めているのは法被を着た太鼓の人たちでした。

人だかりのため前にも進めずにながめていましたが、心躍る演奏に、自分もやってみたいな~、だけど祭りや太鼓はジモティーの特権と信じていたのででも駄目だろうな~と思いながら見ていました。

ふと見ると、法被の襟には「太鼓保存会」と染め抜かれています。さらによく見ると太鼓をたたいている人の中にどう見ても外人な感じの顔立ちの人がいます。
ジモティーじゃないよな~。

太鼓の演奏が終わり、その人たちは車に太鼓一式を片付け始めました。
思い切って近づき、体の一番大きな人に、
「僕はここの地元生まれじゃないんですが、参加させてもらえるもんなんでしょうか?」
的なことを言ったら、歓迎の意を示されたので、電話番号と名前を伝えました。

そんな申し出をしたのも忘れ、秋になったころに「鶴見明神太鼓」から電話がありました。

「先生に教えてもらって、八丈太鼓っていうのをしているんです。」
あっ知ってるかも!

底土の海岸の流れ星のたき火のほほえみの少年の踊りのやぐらの・・・

縁があるんですね。

出会い(一)

20代の夏
流れ星が降りしきる夜の浜辺で、踊りのようなしなやかな太鼓に心を奪われてしまいました。

1993年は本州は歴史に残る冷夏で、どこかに夏を探しに行くしかありませんでした。
遠くの島に行けば夏はあるだろう、という何の根拠もない期待でふと思い出したのが、以前会社の先輩の話に聞いた海の透明度の話でした。「八丈のフェリー着き場でも深い海の底がまるっきり見えるんだ」
友を誘い絶海の孤島に7日間いました。八丈には来る日も来る日も海に会いたくなる十分な夏がありました。島での足はもっぱらヒッチハイクでこと足りましたし、手弁当でいろんな海岸を潜り歩きで日に日に僕らは黒い海人になっていきました。

○○座流星群が来ました。

夜空に雲もなくビール片手に底土の海岸に暗い夜道を歩いていくと、遠くから太鼓の音がします。海岸沿いの人もまばらな場所に、一軒だけ夜店が見え、リズムはそこから聞こえてきていました。
首が痛くなるぐらいに夜空を眺め、いくらかの流れ星を数え、ビール缶空になり、夜風に飽きがきて、男二人で海岸にいるのもなんだなと思い始めました。

太鼓の音は続いていました。

宿に帰る前に屋台でなんか買おうか、程度に太鼓の音に近づいていくと、ハーフ顔の少年が半ズボンにランニングシャツで太鼓のリズムに合わせて、武道の型を披露してました。
もっと近づいてと分かったのは、載拳道の「羽風の型」と思ったのが太鼓の演奏そのものでした。
屋台の周りの人々がほぼ笑みで僕らを招じ入れたので、何も買わず床几に腰掛け少年のたたく太鼓を見ていました。
海岸沿いの闇に屋台の周りだけが明るいのと虫よけの一斗缶のたき火が幻想的で、太鼓というよりも美しい踊りを見ているようでした。
宿に帰っても流れ星よりもあの舞のリズムが鮮明に思い浮かんでました。

僕らは東京に帰る前の晩にその地区の盆踊り見物に行きました。
地元の人はもちろん、観光客も交じり、やぐらの前で踊りました。
友につられて僕も初めてマイムマイムを踊りました。手をつないだのは島の女性でした。

ひとしきり踊りの後は太鼓の腕自慢が始まったようでした。この時なって初めて八丈太鼓という伝統芸能があるのを知りました。
みな車座になって太鼓を楽しみ、皆拍手をしました。
「観光客の皆さんでたたきたい人はいませんか~」という呼びかけにドキドキしながら手を挙げて、やぐらに昇りたたかせてもらい拍手もいただきました。

その時はもちろん10年以上も後に自分が八丈太鼓をたたく人になるとは思いもしていませんでした。