和太鼓という楽器と、八丈太鼓という演奏スタイル、音楽というもの、それをめぐるぼくらのグルーブな日常について できるだけ面白おかしく分かりやすく書いています。 沢山の人に読んでもらうのを過剰に意識してますが、まったく高尚なものではなく、疎にして雑。目くじら立てずに読んで下さい。
 This is personal blog I write about wa-taiko, Japanese drum, style of Hachijo-taiko, music itself and our groovy lives. I write them with humor, amusing way and easy for understanding as much as possible. I am conscious in large in surplus, but it is not so lofty, might be miscellaneous. Please don't flay and do enjoy to read.

2011年3月31日木曜日

太鼓のスタイル(二)

美容にいい
和太鼓は実は静かなブームだそうです。「静かな」という言葉と「太鼓」がフィットしないので何だか変ですが、ちょっとしたブームなのは確からしいです。かといって僕が「太鼓やってます!」と誰かに言ったとき、「ああ、いま流行ってるからね~」などと言われるのは心外ですね。むしろ、「僕が始めたから、流行ったんです。」と言いたい。うそだけど。

僕ちょっと太り気味でした
ダイエットや美容にいいとのたまいつつファッショナブルな太鼓集団がテレビに登場したりして、美容が目的の女性が太鼓を始め、どうせやるならと、イケメン・インストラクターがさわやかに指導してくれる太鼓教室が大人気というケースもあるようです。

さて、太鼓が美容にいいというのは太鼓練習歴5年の僕が『太鼓判』を押します。なかでも最も美容にいいのは東京都北区にある「ビューティー・キタマダ」です。はい。

一般的な人の和太鼓演奏のなイメージは、太鼓を下において撥を打ち下ろす形か、盆踊りのように正面で打つスタイルがかもしれません。八丈太鼓は太鼓をやぐら(ウマともいう)に乗せて斜めに構えた体勢で打ちます。八丈太鼓の元祖は女打ちとも言われたそうで、足をそろえてあでやかに打ちますが、現代では足を開いて勇壮な太鼓を打つ人が多いです。
ほんとはもっと動くんです

僕らも大抵は、足を開いて勇壮に打つので、体をとても動かします。太鼓の出演のときなどに、一般の人にも八丈太鼓をたたいてもらうことがよくありますが。ほどんどの人はこれまで太鼓を叩いたことがない人なので、たいていは太鼓の正面を向いてほとんど腕と撥だけで太鼓を叩きます。斜に構えて打つとういうのは初めての人には難しいと思いますが、初心者の人を見ていると「嗚呼ぼくも練習を5年やってきたんだな~」としみじみします。

八丈太鼓を打っている間、動かすところは全身です。例えば個人打ちの上打ちを5分もするとダンベル体操、腰のストレッチ、スクワットを5分間それも同時にしているのと同じことです。いやそれ以上です。下打ちに合わせてリズム正確にとらえそれに合わせて太鼓を打つわけですから運動としてはいわばジャズダンスくらい。つまりジャズダンスしながらダンベル体操、腰のストレッチ、スクワットをしているのと同じです。もちろん1回の練習は5分だけじゃなく数時間。運動量は相当なもののはずです。ただ、運動をしているというよりやっぱり太鼓で音楽をしているんです。なので、それほどへとへとにはなりません。

ダイエットや美容のための運動や筋トレというと、ストイックなイメージが付きまといますが。音楽を楽しんだら運動にもなって美容に効果的だったといえば、長続きもします。ダイエットも美容も何よりも続けることが大事ですからね。
さあさ、ビューティ・キタマダへのお問い合わせはこちらからどうぞ。
http://www.freedomhill.co.jp/kitamada/index.html

2011年3月23日水曜日

太鼓の音(一)

音しだい

ムッとすることがあります。

太鼓はうるさいとか、苦情がくるとか、やかましーとか言われた時です。確かに太鼓の音はとても大きいけれど、それなら音が大きいと言えばいい。冒頭に書いたような言葉は太鼓を差別しているやんけ、と思います。

僕は太鼓の演奏を聴いて、うるさいとか思ったことがこれまで一度もないです。太鼓を習い始める前からで、子供の時からそうです。どちらかというと太鼓の音はすごく好きでした。とくに自分が叩いていないのに僕のおなかまでじんじんとしびれる感じが好きでした。

以前、ある学習塾の先生のロックバンドに一緒に太鼓も叩いてほしいと頼まれ喜んで引き受けましたが、会場からは断られたことがありました。電子楽器やスピーカーを使うバンドはOKで、和太鼓はNGなんだト。他にも和太鼓だけは勘弁してくんろ、と断る施設は多いです。やっぱり音が大きいからかな? それとも苦情が怖いからなのでしょうか。

太鼓の出演のときに、怒鳴り込んでこられることもしばしばです。今年の正月早々の鶴見明神太鼓でも近所のおじさんが、怒りながらのっしのっしとガニマタ気味でやって来て、ひとしきり文句をわめいたあとまたのっしのっし帰って行きました。正月早々そんなに怒らなくてもいいのになぁと思いました。

人の感覚とは微妙なもので、例えば鈴虫とかコオロギの鳴き声を愛でるのは東洋人で、西洋人はあれを雑音と聞くといいます。ほんと?→ジョンさん。また松任谷由美の声はだめだが、竹内マリアはよいとか。サッチモはいいけど、ボブ・ディランはちょっととか。
僕が嫌いな音は、おっさんが口をあけてガムを噛む音とか、おっさんが鼻の奥を鳴らす音とか、おっさんが奥歯につまった食べかすをしきりとチャッチャッシーシーする音とかそれくらいですが、あれを気にしない人もいるようだし。

太鼓のおおきな音に特別嫌悪感を示す人がいるのでしょうね。やっぱり音質というよりもあの大きさなんだろうなぁと思います。ドンッ!というたびにビクッと飛び上がり、またドンでビクッ、ドンビクッ、ドンビクッ、ドンビクビクッを繰り返していると、そりゃま嫌でしょうね。お囃子のしめ太鼓に苦情が来たと聞いたことがないので、やっぱり音の大きさなんでしょう。

ところで太鼓の音質や大きさもひととおりではないです。この辺になるとうまく説明できないですが、稚拙さを恐れずに書きます。
音の大きさだけでも十段階以上です。音質は突き抜けるような音、留まる音、歯切れのいい音、なまる音、粘る音、響き渡る音・・などいくつもあります。音の大きさと音の質を自在に叩き分けられたらすごいと思いますが、当然僕にはまだまだでござんす。

無論太鼓は一音だけじゃなく、上で書いたようなさまざまな音をドンドンと打ったり、ドドドドドド、ドドンドン、と打ったりと縁(ふち)も併せて無限の構成がありそれぞれのフレーズで細かい叩きわけもします。楽器としてはシンプルですがシンプルだからこそこうも表現があるのかなと思うのです。

また太鼓はひとつづつ音がまったく違います。革の柔らかさも音も、胴の反響の仕方も。ずっと同じ太鼓をたたいていて、急に違う太鼓をたたき始めると、革の感じが違うのでとても叩きにくいことがあります。

もちろん僕は太鼓の良しあしを言うより前に、自分自身の腕の良しあしを何とかしないといけないのです。そうしないと「騒音だやかますぃー」と言われてしまうのです。

2011年3月13日日曜日

お見舞い

地震で甚大な被害を受けた多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。皆さまが少しでも早くもとの生活を取り戻せますようにお祈りいたします。大変微力ですが電気と情報・交通網の無駄遣いを控え避難された方々のために優先に使ってもらえるようにします。

太鼓のスタイル(一)

衣裳
おぉ!本気にするだろ
「太鼓やってます」と人に話すとふたりにひとりぐらいの割合で「ふんどししめて?」と聞き返されます。ふたりにひとりは多いです! そう聞き返される理由はなんでしょう。ふんどしが似合う男だと、僕が思われているから? そうすると「僕はダンスをしています」と言っても「ふんどししめて?」、「サーフィンが好きです」と言っても「ふんどしして?」と返ってくるでしょう。が、たぶんそれはないです。だいいち僕は生まれてこの方ふんどしをしたことがありません。似合うかもしれませんが・・。

もうひとつは考えられる理由は、太鼓はふんどししめて叩くものというイメージをもっている人が多いから。たぶんこちらの方が正しい推測でしょう。イメージはともかく太鼓はふんどししめて叩くもんじゃという見識は正しくありません。ではなぜそんなイメージを持っているのでしょう。ためしにインターネットグルグル先生に尋ねてみたところほとんどの太鼓の画像ではふんどしをしめてませんが「鬼太鼓座」と「鼓童」の写真はふんどしオンパレードでした。
元祖「ふんどし」鬼太鼓座

「鬼太鼓座」、「鼓童」といえば云わずと知れた佐渡ケ島発祥の太鼓プロ集団でその人たちが太鼓のみならず太鼓=ふんどしというイメージまで多くの人に植えつけたようです。その事実はすごいと思います。ぼくに「ふんどししめて?」と聞いた人はおそらく「鬼太鼓座」も「鼓童」も知らないと思います。だけど太鼓はふんどしでたたくものと思っているのです。それだけこれらのプロの方々の太鼓をメジャーにした業績は大きいということでしょうか。



御陣乗太鼓
昨年夏には地元鶴見の総持寺に「御陣乗太鼓」の方々がきて大変気合の入った独特の太鼓を披露されていましたが、衣裳は短い着流しだったり、はんだこだったり、甚平だったりです。どの一様に恐ろしげな面をかぶっています。

エイサー



沖縄のエイサーの衣裳はとても独特ではファッショナブルです。グループによって本当に様々な趣向がこらしてあっておしゃれです。見様によっては南方の民族衣装にも東欧の民族衣装にも見えます。ルーツにつながりがあるのかもしれません。

黄八丈を着ての八丈太鼓


八丈太鼓発祥の八丈島では、踊るように太鼓を打つ女性の黄八丈姿が印象的です。昔からの八丈島のたたき方を継承されている方々は着物姿で足をそろえて日本舞踊のようにきれいに太鼓を叩いています。昨年の24時間チャレンジ太鼓のときにもきれいな黄八丈で参加された方々に見入ってしまいました。
そろえるためにはもっとも高価な衣装ともいえます。昨年八丈島に行った折にお土産に黄八丈を使った品物を探したのですが、とても高くて小さなペンケースを買えたぐらいでした・・。

ジョンさん:鶴見明神太鼓の衣裳、春美先生:八丈太鼓キタマダの衣裳
八丈太鼓キタマダでも、鶴見明神太鼓でも出演の際は上から、鯉口シャツ、腹掛け、股引き、地下足袋、という姿です。鶴見明神太鼓では、祭りのときは木札を首からぶら下げて半纏を着て帯を締めます。たまに手甲もします。実はこのスタイルやこれに近いスタイルをする太鼓打ちのひとは多いようです。この服装は太鼓打ちのスタイルというよりも元は昔の職人や車夫の作業着です。体を動かす職人の着物だけにとても動きやすいです。また職人ならではの粋がつまっていて、着こなすと恰好がいいです。一見地味なだけに趣向をこらしてみようかなと考えてしまいます。中学生のときに学生服になんだかんだと改造をしつづけた感じに似てます。

太鼓は衣裳が叩くのではなくもちろん衣裳の中身が叩くのですが、例えば僕たちが履いている股引の場合は体にぴったりフィットするのでビシッときめると気合が入ります。特に腿から下は脱ぐときに苦労するぐらい足を締めています。腰の周りは紐で縛るのですがびしっとしまるようにいつも気をつけて引き上げてはきます。そうしないとお尻の周りがぶよぶよになって何ともだらしない格好になるからです。腹掛けも同じですね。きゅきゅきゅと上半身をしめて気合を入れます。

あそういえば、初めて赤羽の「馬鹿祭り」に出演させて頂いた時のこと、すべての演奏が終わって片づけをしているとピアスをした青年が近寄って来たことがあります。そして一言「上半身は裸とかでやってもらえませんか」(@@)" いんやー、まだそれほどのものではないです。丁重にお断りしました。

2011年3月3日木曜日

太鼓という音楽(一)

唄声と太鼓のひびき
音楽を語れるほどうんちくも含蓄もコンニャクもないです。だけど好きな音楽を選ぶことはささやかにやってます。20代のころAndrew Lloyd Webber(アンドリュー・ロイド・ウエーバー)という人の歌曲集を友にプレゼントして一緒に聴きました。友はしょっちゅう"Madama Butterfly"(蝶々夫人)をレコードで聴いていてました。ある日僕は(歌劇には関心はなかったのですが)歌が楽器から聞こえるように思えました。おお高い音から低い音まで正確に響かせて歌える喉はつまり楽器じゃっと、思ったです。オペラ! と頭に浮かんだ僕は「オペラ座の怪人」(なんと単純な連想!)をレコード屋に行って探しました。が、それはなくそれも含めていろいろ入ってるお得なCDがアンドリュー・ロイド・ウエーバープレミアコレクションだったんです。その中のほとんどすべての歌声に僕はしびれました。とくに "Memory"や"Don't cry for me Argentina"の女声には憧れさえしました。つい最近でてきたイギリスの沸騰おばさんの歌には、それほどしびれませんでしたが・・。


だいぶ後年ですが「いつも何度でも」という曲が有名になって、オリジナルの木村弓さんの細くてでも強い声はすごくいいなと思いました。同じ曲をウクライナ チェルノブイリで育った歌手ナターシャ・グジーさんが民族楽器で弾き語りをしています。この人の声も大変美しいです。


時は再びさかのぼり、20代のころ住んでいた町で。歩行者道路を歩いてたら、突如暇つぶしをしていたタクシーの運ちゃんがヨーデルを唄っているのに出会いました。不思議でした。きれいな声はおじさんの数メートル前方から聞こえてくるからです。驚いて、おじさんにアンコールしました。

人は練習して本当にいろんな歌声が出せます。プロが練習して練習して練習して歌を聴かせるのは、歌を聞いてくれた人をしびれさせるためです。練習しなくても声は出せるし歌えますが、人がきいてくれるかどうかはわかりません。

イワンヤ太鼓ヲヤです。

太鼓は、撥で革をたたけば赤ちゃんだって音が出せます。だれかの真似をすれば簡単なフレーズはそれっぽく叩けます。でも楽器としての歌声が鍛錬によって感動させるものになるように、太鼓の音も鍛錬によって、人に聴きいってもらえる音になるのだとほんとうに思います。謡うように太鼓を奏でられるにはどれくらいの鍛錬が必要なのかぼうと思いを馳せますが、誰もが名歌手になれるわけではないことを考えると、太鼓の練習の道のりもそーとーに長いと思う今日この頃です。ヨロレイヒィーヨロレイホォー♪