流れ星が降りしきる夜の浜辺で、踊りのようなしなやかな太鼓に心を奪われてしまいました。
1993年は本州は歴史に残る冷夏で、どこかに夏を探しに行くしかありませんでした。
遠くの島に行けば夏はあるだろう、という何の根拠もない期待でふと思い出したのが、以前会社の先輩の話に聞いた海の透明度の話でした。「八丈のフェリー着き場でも深い海の底がまるっきり見えるんだ」
友を誘い絶海の孤島に7日間いました。八丈には来る日も来る日も海に会いたくなる十分な夏がありました。島での足はもっぱらヒッチハイクでこと足りましたし、手弁当でいろんな海岸を潜り歩きで日に日に僕らは黒い海人になっていきました。
○○座流星群が来ました。
夜空に雲もなくビール片手に底土の海岸に暗い夜道を歩いていくと、遠くから太鼓の音がします。海岸沿いの人もまばらな場所に、一軒だけ夜店が見え、リズムはそこから聞こえてきていました。
首が痛くなるぐらいに夜空を眺め、いくらかの流れ星を数え、ビール缶空になり、夜風に飽きがきて、男二人で海岸にいるのもなんだなと思い始めました。
太鼓の音は続いていました。
宿に帰る前に屋台でなんか買おうか、程度に太鼓の音に近づいていくと、ハーフ顔の少年が半ズボンにランニングシャツで太鼓のリズムに合わせて、武道の型を披露してました。
もっと近づいてと分かったのは、載拳道の「羽風の型」と思ったのが太鼓の演奏そのものでした。
屋台の周りの人々がほぼ笑みで僕らを招じ入れたので、何も買わず床几に腰掛け少年のたたく太鼓を見ていました。
海岸沿いの闇に屋台の周りだけが明るいのと虫よけの一斗缶のたき火が幻想的で、太鼓というよりも美しい踊りを見ているようでした。
宿に帰っても流れ星よりもあの舞のリズムが鮮明に思い浮かんでました。
僕らは東京に帰る前の晩にその地区の盆踊り見物に行きました。地元の人はもちろん、観光客も交じり、やぐらの前で踊りました。
友につられて僕も初めてマイムマイムを踊りました。手をつないだのは島の女性でした。
ひとしきり踊りの後は太鼓の腕自慢が始まったようでした。この時なって初めて八丈太鼓という伝統芸能があるのを知りました。
みな車座になって太鼓を楽しみ、皆拍手をしました。
「観光客の皆さんでたたきたい人はいませんか~」という呼びかけにドキドキしながら手を挙げて、やぐらに昇りたたかせてもらい拍手もいただきました。
その時はもちろん10年以上も後に自分が八丈太鼓をたたく人になるとは思いもしていませんでした。
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