自由に太鼓打つというは、自分勝手に滅茶苦茶に演奏するということではありません。滅茶苦茶に叩いても太鼓の音はするし、自分は満足するかもしれません。ただし音楽とは言えないかも。音楽をする人は、それを聞いている人にいい音を、いいリズムを聞かせて、出来ることならば共鳴してほしいと思うじゃないですか。ということは自分のものであり、みんなのもの、広い空間を共有して周りを心地よく震わせるものじゃないといけないのかなーと思うわけです。 僕って、いいこと言うなぁ。
無心で流れるような演者になれたら・・ |
そんなことできるの? と問われたら僕はきっぱりと、『出来るかもしれないし、出来ないかもしれないし、出来るかもしれないとも言えなくもなくもない的なぁ』と、応えるでしょう。
最高なのは自分も気持ちよく叩けて、自然に周りがノッているのが分かって、それに共鳴してまた僕がはまってきて、音もクリアにはずんできて、みなが思わず拍手をしてくれるときです。 アドリブでそんな空間を作れるとすばらしく気持ちいいです。
僕の場合まだそんな風に叩けた経験はほとんどありません。すごい頻度で、しかも毎回毎回違う即興太鼓でそんな演奏ができるようになるには、普段の練習の積み重ねだろうなーとつくづく思うわけです。練習を続ければ続けるほどそれがよくわかります。(つづく)
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