音楽を語れるほどうんちくも含蓄もコンニャクもないです。だけど好きな音楽を選ぶことはささやかにやってます。20代のころAndrew Lloyd Webber(アンドリュー・ロイド・ウエーバー)という人の歌曲集を友にプレゼントして一緒に聴きました。友はしょっちゅう"Madama Butterfly"(蝶々夫人)をレコードで聴いていてました。ある日僕は(歌劇には関心はなかったのですが)歌が楽器から聞こえるように思えました。おお高い音から低い音まで正確に響かせて歌える喉はつまり楽器じゃっと、思ったです。オペラ! と頭に浮かんだ僕は「オペラ座の怪人」(なんと単純な連想!)をレコード屋に行って探しました。が、それはなくそれも含めていろいろ入ってるお得なCDがアンドリュー・ロイド・ウエーバープレミアコレクションだったんです。その中のほとんどすべての歌声に僕はしびれました。とくに "Memory"や"Don't cry for me Argentina"の女声には憧れさえしました。つい最近でてきたイギリスの沸騰おばさんの歌には、それほどしびれませんでしたが・・。
だいぶ後年ですが「いつも何度でも」という曲が有名になって、オリジナルの木村弓さんの細くてでも強い声はすごくいいなと思いました。同じ曲をウクライナ チェルノブイリで育った歌手ナターシャ・グジーさんが民族楽器で弾き語りをしています。この人の声も大変美しいです。
時は再びさかのぼり、20代のころ住んでいた町で。歩行者道路を歩いてたら、突如暇つぶしをしていたタクシーの運ちゃんがヨーデルを唄っているのに出会いました。不思議でした。きれいな声はおじさんの数メートル前方から聞こえてくるからです。驚いて、おじさんにアンコールしました。
人は練習して本当にいろんな歌声が出せます。プロが練習して練習して練習して歌を聴かせるのは、歌を聞いてくれた人をしびれさせるためです。練習しなくても声は出せるし歌えますが、人がきいてくれるかどうかはわかりません。
イワンヤ太鼓ヲヤです。
太鼓は、撥で革をたたけば赤ちゃんだって音が出せます。だれかの真似をすれば簡単なフレーズはそれっぽく叩けます。でも楽器としての歌声が鍛錬によって感動させるものになるように、太鼓の音も鍛錬によって、人に聴きいってもらえる音になるのだとほんとうに思います。謡うように太鼓を奏でられるにはどれくらいの鍛錬が必要なのかぼうと思いを馳せますが、誰もが名歌手になれるわけではないことを考えると、太鼓の練習の道のりもそーとーに長いと思う今日この頃です。ヨロレイヒィーヨロレイホォー♪
0 件のコメント:
コメントを投稿